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集中連載 ヘンツェのまなざし【第1回】

昨年10月27日、ドイツで86歳の生涯を閉じた作曲家ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ。

10月定期演奏会で取り上げる作品を通じ、第二次世界大戦後のドイツを生き抜いたこの偉大なる作曲家の“視点”に迫る3回シリーズ。

初回は、「交響曲第9番」の題材でもあり、フレッド・ジンネマンによって映画化もされたアンナ・ゼーガースの小説「第七の十字架」からアプローチを試みてみたい。

「第七の十字架」としての交響曲

文:沼野 雄司

サスペンスに満ちた逃亡劇。その底に流れる静かな諦念と観察。

脱走直後から次々に仲間が捕えられてゆく(上)。追っ手を避けて茂みに隠れる主人公ハイスラー(スペンサー・トレイシー/右)。

「さまざまな物語がある/壮大なもの ささやかなもの 悲劇にメロドラマ/ヨーロッパで生まれた 悪の闇の物語の数々…/“第七の十字架”も そんな物語の1つだ/人間と動物を区別する 魂のありかたを教えてくれる」(映画冒頭より)

第七の十字架 The Seventh Cross
(1944/アメリカ/110分)
監督:フレッド・ジンネマン
出演:スペンサー・トレイシー
シグネ・ハッソ 他
発売・販売:(株)ブロードウェイ
DVD価格:3,990円(税込)

1936年、政権をとって3年を経たナチスは、反政府運動に携わる人間たちを次々に強制収容所に送っていた。この中でゲオルグ・ハイスラーをはじめとする7人が脱走。怒り狂った収容所の司令官ファーレンベルクは、庭の7本のプラタナスを十字架にみたて、再捕獲した逃亡者たちを処刑し、ここに吊るすことを決意する。ほどなくして6つの十字架に6人がかけられた。最後に残ったハイスラーは、果たして逃げおおせるのか、それとも最後の十字架に吊るされるのか……。
この小説「第七の十字架」の著者アンナ・ゼーガース(1900-83)は、ユダヤ系である上に共産党員だったため、ナチスが政権をとった33年には一時的に投獄された経験をもっている(のちに彼女の母親はナチスに殺された)。その後フランスに亡命した彼女はこの小説を書きあげ、1942年にアメリカで英語版を、翌年にメキシコでドイツ語版を出版したのだった。
アメリカの映画監督フレッド・ジンネマンは、彼自身がユダヤ系ということもあり、英語版が出版された翌1943年、早くもこの物語をハリウッドで映画化している。スペンサー・トレイシー主演による魅力的な物語ではあるが、当然ながらジンネマンは、あくまでもハイスラーの逃亡劇、そして一種の勧善懲悪劇として、この映画を展開させる。最後はさまざまな人々の無垢な「善意」を信じることによって、ハイスラーがナチスの手から逃れるというストーリーだ(原作ではほんの数ページのエピソードにすぎない下宿屋の娘との淡いロマンスがクライマックスにあてられるあたりには、西部劇のようなテイストも感じられる)。
ただし、ゼーガースの小説を実際に読んでみると、その底に流れているのはサスペンスの躍動感というよりは静かな諦念と観察であり、そしてハイスラーが逃亡する中であらわになってゆくのはナチスの残虐さや人々の善意というよりは、当時の等身大のドイツの姿だ。当然ながら、現実の世の中には単純に「いい人」と「わるい人」がいるわけではなく、それぞれの人間が、それぞれの小さな状況の中で懸命に生きているにすぎない……。
この小説をもとにして「交響曲第9番」を書いたヘンツェも、おそらくはそう考えていたのではないか。そもそもヘンツェとゼーガースの個人史、そしてドイツの歴史を重ね合わせたときにあぶりだされる透かし模様は、単に「反ファシズム」という一言で語ってしまうのはためらわれるような、複雑な様相を呈している。

20世紀の終わりに誕生した“合唱付き第9交響曲”の意味。

1926年生まれのヘンツェは、実は、若き日にヒトラー・ユーゲントに属していた経験をもっている(原作および映画では、脱獄したハイスラーが、弟のユーゲント入団を知って愕然とする場面がある)。これは生涯にわたってヘンツェが背負うことになった十字架ともいえよう。戦後、前衛作曲家としてデビューしたヘンツェはイタリアで数々の舞台作品を手がけた後、65年にドイツに帰国するのだが、ここから西ドイツのヘンツェと、戦後は東ドイツに渡っていたゼーガースの軌跡が微妙な一致を見せはじめる。
ゼーガースがスペイン内戦を扱った「アガーテ・シュヴァイゲルト」(1965)、社会主義国家建設を扱った「信頼」(1968)、ベトナム戦争を題材にした「石器時代」(1975)といった小説を書き継ぐ一方で、西側のヘンツェもまた、チェ・ゲバラに捧げた「メデューズ号の筏」(1968)、ベトナム解放戦線の歌の断片が含まれた「交響曲第6番」(1969)、キューバ人奴隷の生涯を描いた「エル・シマロン」(1970)、ホー・チ・ミンの日記を用いた「刑務所の歌」(1971)といった政治的な作品を次々に手がけるのである。同時に注目されるのは、1976年に出版された論文集「音楽と政治 Musik und Politik」で、ここで彼は自分にとっての政治化のプロセスとは、決して理論的な問題なのではなく、自身の生活環境に直接関わることなのだと力説している。つまりは、単なる「お題目」としての政治ではなく、それぞれの個人的な経験や記憶が交錯する中にこそ政治的なものが潜んでいるという図式だ。
1983年にゼーガースは死去するが、不思議なことに、この頃になるとヘンツェも政治的な主題を直接的に作品の中でとりあげることはなくなる。1989年には、ついにベルリンの壁が崩壊。そして東西ドイツ統一の騒動がようやく落ち着き、20世紀も終わりを告げようという1997年になって、この「交響曲第9番」は書かれた。もちろんナチスの悲惨が消えることはないものの、この時期にあらためて、そして「第9」という記念碑的な番号の作品の中で(それも「合唱付交響曲」という枠組みで)ゼーガースの小説を扱うという事実に、ヘンツェが心に秘めていた強い思いが感じられよう。
ただし、作品のテキストを担当したトライヒェルは、ゼーガースの小説の原文は一切用いず、そのいくつかの場面の心象風景を7篇の詩として再構成した。脱出者の緊張、迫害する者の憎悪や怯え、大空と自由、大聖堂に住まう死者たちの嘆き、遥かなる救済……。ひとつひとつの語は具体的であっても、全体としては抽象的な言葉の連なりであり、だからこそオペラでもオラトリオでもなく「交響曲」として、この作品が成立しているともいえる。
若き日に背負った十字架を、おそらくヘンツェはひとつひとつ音楽作品として形にしていった。してみると、この「第9番」は、ヘンツェにとっての「第七の十字架」のようにも思えてくる。


(プロフィール)
ぬまの・ゆうじ/1965年東京生まれ。東京藝大院修了。著書に『リゲティ・ベリオ・ブーレーズ 前衛の終焉と現代音楽のゆくえ』(音楽之友社)、『光の雅歌 西村朗の音楽』(共著、春秋社)、『日本戦後音楽史 上・下』(共著、平凡社)など。現在、桐朋学園大学准教授。

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