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2018年11月7日(水)
26歳の詩人にして作曲家アッリーゴ・ボーイトが文豪・ゲーテの戯曲『ファウスト』をもとに書いたオペラ『メフィストーフェレ』。ボーイト以前にも以後にも『ファウスト』から音楽作品は多く生まれているが、『メフィストーフェレ』だけがもつ魅力、アンダーグラウンドな気配さえ漂わせながら私たちを惹きつける色気は、どこからやってくるのか――。
『ファウスト』ではなく『メフィストーフェレ』
16世紀に実在したとされるファウスト博士
ファウスト伝説のモデルとなった
なぜファウストではなく、メフィストーフェレがタイトルになったのだろう?
すでにグノーの『ファウスト』があったから、というのが大きな理由と考えられている。グノーの『ファウスト』は1859年にパリで初演され、ミラノでもその3年後に上演されている。ボーイトが新しいオペラを考え始めたころだ。オペラ史上稀にみる成功を収めた作品なので、意識しないわけにはいかない。
だがグノーとボーイトのオペラを較べ、どちらがゲーテの原作に近いかといえば、明らかにボーイトの『メフィストーフェレ』のほうだ。グノーのオペラは原作のファウストとマルガレーテのエピソードに話をしぼっていて、ゲーテの全体像からは程遠い。ゲーテの国ドイツでは、最近まで『ファウスト』というタイトルを拒み、『マルガレーテ』の名で上演していたくらいだ。
悪魔に魅了された作家ボーイト:「独白」の歌詞が持つ意味
『メフィストーフェレ』を作曲した
1868年頃のボーイト
作者がタイトルの変更を考えたものの、結局原作に従ったオペラもある。ヴェルディはイヤーゴがオペラのタイトルにふさわしいと考えたのだが、考え直して『オテロ』にした。確かにヴェネツィアの場こそカットしているが、『オテロ』はシェイクスピアの原作にかなり近い。この台本を書いたのはいうまでもなくボーイトで、『メフィストーフェレ』から20年近くたっている。
ヴェルディの『オテロ』にはほかにもシェイクスピアの原作とはっきり違うところがある。それはイヤーゴの造型だ。イヤーゴは第2幕で、このオペラの中でもとりわけよく知られた「クレード=信条」を歌う。シェイクスピアのイヤーゴが少々陰気でリアルな悪人であるのに対し、ヴェルディのイヤーゴは堂々と自分の悪を宣言する。この「クレード」の詞はボーイトが思いつき、詞を見せられたヴェルディがまったく修正することなく、そのまま作曲したといわれている。
このイヤーゴの「クレード」にもうひとつの、ボーイト自身の詞による歌を連想しないだろうか。『メフィストーフェレ』第1幕第2場の「口笛の歌」だ。ファウストとの対話でメフィストーフェレが歌うのは否定の精神で、後のイヤーゴの信条告白を、かなり先取りしている。悪魔のような男は、やはり悪魔自身と通じていたのだ。
タイトルが悪魔の名になったのは、グノーの作品が先にあったから、という理由ではないのではないだろうか。ボーイトは悪魔に魅了されていたのだ。そして悪魔に魅了されたのはボーイトだけではない。もしかしたら時代が、魅力的な悪魔にとりつかれていたのかもしれない。
ドラマの中で魅力的なのは、悪魔か哲学者か?
映画『ファウスト』のポスター
(1926年/F.W.ムルナウ監督)
ゲーテの『ファウスト』の主役はもちろんファウストなのだけれど、舞台上演される時俳優が演じたがるのはファウストではなくメフィストに決まっている。ドイツでは昔から名優がメフィストを演じてきた。日本でも、10代の頃に見た『ファウスト』は、当時の大御所的な演出家・俳優の千田是也がメフィストだった。ドイツ表現主義の映画、フリードリヒ・ウィルへルム・ムルナウの『ファウスト』(1926年)でも、当時の名優エミール・ヤニングスがメフィストを演じていて、当然ながら印象に残るのはメフィストのほうだ。
そういえばヤニングスの後のドイツの名優グスタフ・グリュントゲンスをモデルにしたといわれるクラウス・マンの小説の名が「メフィスト」だった。この小説をハンガリーのイシュトヴァン・サボーが映画化した『メフィスト』(1981年)で主役を演じていたのはオーストリアの俳優クラウス・マリア・ブランダウアーでしたっけ。
オペラ『メフィストーフェレ』でタイトル・ロールを歌った歌手たち
バス歌手のフョードル・シャリアピン
メフィストーフェレを演じ一躍スターに
当然ながらオペラ『メフィストーフェレ』の主役も、いかに原作を生かしているとはいえ、タイトル・ロールのメフィストーフェレで、昔からバスの名歌手が歌ってきた。バスのスターとして伝説になっているフョードル・シャリアピンが、ロシアを出て初めてスカラ座で歌い、センセーショナルな成功を勝ち得たのは1901年の『メフィストーフェレ』だったのだ。シャリアピンの名はボリス・ゴドゥノフと結びつけられがちだが、1907年、メトロポリタン歌劇場にデビューした時も『メフィストーフェレ』のタイトル・ロールだった。
イタリアのバスとしては20世紀初頭のナッザレーノ・デ・アンジェリスから後半のチェーザレ・シエピがメフィストーフェレとして名を残している。少し前のメフィストーフェレといえばサミュエル・レイミーだろう。実力があって(姿もそれなりで)この役を歌いたがらないバスはいない。
メフィストーフェレこそ、ドン・ジョヴァンニやイヤーゴやスカルピアをしのぐ、オペラの魅力的な悪役だ。悪魔のように魅力的……ではなくて、魅力的な悪魔自身が、このオペラのタイトル・ロールを務めている。
堀内 修(ほりうち・おさむ / 音楽評論家)
東京生まれ。1970年代からオペラとクラシック音楽に関する執筆活動を行い、雑誌や新聞に寄稿するほか、テレビやFM放送にも出演してきた。近著には「オペラ入門」(講談社)、「モーツァルト・オペラのすべて」「ワーグナーのすべて」(平凡社)、「読むオペラ」(音楽之友社)がある。
関連リンク
・ 歌劇『メフィストーフェレ』特設ページ
・ 歌劇『メフィストーフェレ』曲目解説
・ アンドレア・バッティストーニ『メフィストーフェレ』を語る(連載記事)
【11月定期演奏会】
いにしえの悪魔が現代に蘇る――
バッティストーニの『メフィストーフェレ』
第912回サントリー定期シリーズ 【完売御礼】
2018年11月16日[金] 19:00開演(18:30開場)
サントリーホール
第913回オーチャード定期演奏会
2018年11月18日[日] 15:00開演(14:30開場)
Bunkamura オーチャードホール
指揮:アンドレア・バッティストーニ
メフィストーフェレ (バス): マルコ・スポッティ
ファウスト (テノール): アントネッロ・パロンビ
マルゲリータ/エレーナ (ソプラノ): マリア・テレ-ザ・レーヴァ
マルタ/パンターリス(メゾ・ソプラノ):清水華澄
ヴァグネル/ネレーオ(テノール):与儀 巧
合唱:新国立劇場合唱団
児童合唱:世田谷ジュニア合唱団 他
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
オペラ演奏会形式 ボーイト/歌劇『メフィストーフェレ』
主催:公益財団法人 東京フィルハーモニー交響楽団
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業)
公益財団法人アフィニス文化財団
公益財団法人 花王芸術・科学財団(11/16)
公益財団法人ローム ミュージック ファンデーション(11/16)
協力:Bunkamura(11/18)