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9月定期演奏会のお知らせ
偉大なる“魅惑のひと”マエストロ・ゼッダ

文:水谷 彰良(オペラ研究家/日本ロッシーニ協会会長) 

2005年以来登壇のたびに、聴き手のみならず奏者をも魅了し続けるアルベルト・ゼッダ。円熟の、かつ生命力溢れるその音楽を、もしまだお聴きでない方がいらっしゃったら、ぜひ今度こそお聴きいただきたい。なぜなら――。マエストロをよく知る水谷彰良氏が“魅惑のひと”ゼッダを語る!

偉大な師ヨーダ(?)の多彩な活動


2009年8月、ファーノのゼッダ先生の別荘にて。

姿形が映画『スターウォーズ』のヨーダみたいと言ったら、「何と失礼な!」とお叱りを受けるに違いない。でもゼッダ先生をヨーダに譬えたのは筆者ではなく、2007年にマチェラータ大学の名誉博士号を授与された際に、コミュニケーション科学の学部長が尊敬をこめて「スターウォーズの偉大な師ヨーダ」と呼んでいるのだ。銀河のグランドマスター(最高位の指導者)であるヨーダは、小柄な老人の姿をしていても驚異的な運動能力と体術を身につけ、その深い英知と学識でジェダイの尊師とされている。その意味でも、ゼッダ先生はヨーダと肩を並べる偉大な人物なのである。
オペラ・ファン、とりわけロッシーニ愛好家にとってゼッダ先生は神様の如き存在である。1960年代に始まるロッシーニ・ルネサンスはゼッダ先生の校訂した『セビリャの理髪師』が火付け役となり、ロッシーニ全集の出版もペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティヴァルも、ゼッダ先生の存在なしにはありえなかったのだ。それだけではない。新進気鋭の指揮者とオペラ歌手の多くがゼッダ先生の薫陶を受け、世界のひのき舞台で活躍している。だが、なぜ一人の人間が指揮者の職種を超え、音楽学者、フェスティヴァルの芸術顧問、教育者として最高の業績を残せるのだろう。その秘密は先生みずから「尋常でない」と語る、青春の日々にありそうだ。

奔放な青春とロッシーニ作品との運命的な出会い

アルベルト・ゼッダ先生は1928年1月2日にミラノで生まれ、今年85歳になられた。ネッロ・サンティより3歳年上だから、まさしく現役最長老のイタリア人マエストロと言ってよい。ミラノの音楽院で高名な指揮者アントーニオ・ヴォットとカルロ・マリーア・ジュリーニに師事し、大学で人文科学を学んだが、ゼッダ先生は昨年出版した著書の中で「私がより多くのことを学んだのは、スカラ座の天井桟敷、小劇場、人道主義者のサロン、ジャズバーでの熱気溢れる討論、ジャマイカ風の無為や酒場の中でだった」と述べている(Alberto Zedda: Divagazioni rossiniane, Ricordi, 2012)。そして神秘主義、エロティックな興奮、芝居、プロレタリアの労働や非合法活動、政治組織、労働組合、文化論争など、ありとあらゆることを経験したという。現在の先生のキャパシティの広さと深い学識は、音楽一辺倒の学生生活ではなく、そんな自由奔放な青春時代に育まれたのである。
オペラ指揮者デビューは1956年ミラノでの『セビリャの理髪師』。翌57年にはイタリア国営放送の指揮者コンクールで優勝し、ただちに世界の劇場やオーケストラに求められた。そんな中、人生の転機となる出来事が1959年にシンシナティで訪れる。『セビリャの理髪師』の稽古でオーボエ奏者の一人から、「その速さでは演奏できません」と言われてしまったのだ。ゼッダさんが簡略な音型で吹くよう勧めると、奏者はむっとして、「あなたはまだ若く、外国人だから私が誰か知らなくて当然でしょう(実はニューヨーク・フィルの首席奏者だった!)。でも、あなたの望むテンポで吹けるオーボエ奏者は世界のどこにもいませんよ」と答えたという。
数年後、ボローニャ音楽院でロッシーニの自筆譜を閲覧したゼッダ先生は愕然とした。第1幕フィナーレのストレッタにオーボエのパートがなく、その音符はピッコロのために書かれていたのだ。リコルディ社の総譜が間違いだらけと知った先生は自筆譜との異同をすべて自分の楽譜に書き写し、RCAレコードで全曲録音する際の原本とした。そのためにはオーケストラと歌手の楽譜をすべて修正しなければならなかったが、そんな先生のもとに後日リコルディ社から「レンタル譜を滅茶苦茶にしたから賠償金を支払え」との手紙が届き、目の前が真っ暗になったという。結局リコルディ社が非を認め、「私は音楽学者じゃありません」と固辞するゼッダ氏を説き伏せてイタリア・オペラ初のクリティカル・エディション『セビリャの理髪師』が誕生したのだった。
その後ゼッダ先生はロッシーニの『ラ・チェネレントラ』『泥棒かささぎ』『セミラーミデ』、ドニゼッティの『愛の妙薬』、モンテヴェルディ『ポッペーアの戴冠』の校訂譜を作成し、ヴェルディの『仮面舞踏会』と『ファルスタッフ』にも共編者として名を連ねた。本業の指揮活動もモンテヴェルディからベリオまで幅広いレパートリーを手がけ、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』『マイスタージンガー』『パルジファル』の上演にも携わった。コンサート活動も精力的に行い、ブルックナー「交響曲第1番」のイタリア初演もゼッダ先生が行ったと言えば、驚く人も多いだろう。

ゼッダ先生の音楽観と個性的な演奏

筆者は1990年代に毎年ロッシーニ・アカデミーを聴講し、ゼッダ先生の講演にもふれてきた。そこで語られた先生の印象的な言葉を引用してみよう――「指揮者の役割は、作曲家の表現様式、独自性、音楽の理想を、演奏を通じて明らかにすることにある」「バロックからロッシーニまでの音楽はミロやカンディンスキーの絵画と同じで、抽象的な線(旋律)と技術の中に観念が存在する。これに豊かな色彩、性格、情緒と感情を付与するのが演奏者の役目である」「表現すべきものを音符ではなく、その行間から読み取らねばならない」。
ゼッダ先生の演奏の神髄も音符の再現ではなく、行間から読み取ったものの実体化にある。楽譜に書かれていないディナーミク(強弱)、アゴーギク(緩急)、色彩とニュアンスの変化を豊富に適用し、音楽に新たな生命を付与するのだ。ときに歌手やオーケストラの限界すれすれに速度を上げ、旋律に思いもよらぬアクセントを付して聴き手を驚かせるが、それらは奇を衒う操作ではなく、常識にとらわれぬ解釈やフリージャズにも似た即興性のなせるわざと言える。もちろんそれは、卓越した歌手やオーケストラがあればこそのスリリングなセッションで、稀代の名演と失敗や破綻は常に隣り合わせである。それでも小さな身体から放出されるエネルギーと輝かしいオーラを目撃し、作曲家の魂が乗り移ったかのような名演に接した誰もがゼッダ先生を天才と認め、その虜にならずにはいられないのだ。
そんなマエストロ・ゼッダの真価が正当に理解されるようになったのは、ここ20年くらいではなかろうか。アッバード、ムーティ、シノーポリ、シャイーといったスターが脚光を浴びる中、彼らが新たな音楽解釈をするための土台作り――クリティカル・エディションの編纂、歌手と指揮者への教育、音楽祭の芸術顧問としての活動――に時間と労力を費やしてきたのだ。そして旺盛な好奇心で先生自身が絶えず学び、成長し続けた結果、気が付けば誰もが認める巨匠になっていたのである。

素顔のマエストロ・ゼッダ


2011年9月来日のゼッダ先生を囲んで(左から筆者、ソプラノの天羽明惠さん、ピアニストの金井紀子さん)。

筆者が初めてロッシーニ・オペラ・フェスティヴァルを観に行ったのは1989年。ゼッダ先生の指揮するオペラは1992年の『セミラーミデ』が最初で、以後毎年ペーザロを訪問し、たくさんのことを学ばせていただいた。けれども直接お話したのはずっと後で、7月と8月を過ごす先生のファーノの別荘に初めて招かれたのは2007年である。ゼッダ先生の夏のスケジュールは超人的だ。朝から公務を果たすかたわら歌手を指導し、フェスティヴァルの稽古と公演にも毎回列席する。奥様がスペイン人だから昼食は午後2時過ぎからで、4時には公務に戻るため家を離れる(ファーノからペーザロまで車で30分ほどかかる)。夕食は公演後で、歌手、指揮者、音楽学者、ジャーナリストを10人以上も自宅に招き、深夜まで談論風発の宴会が繰り広げられる。
素顔の先生は明るく陽気な会話の達人で、音楽の話を始めると止まらない。好奇心の塊だから、指揮を求められれば世界中どこでもスケジュールの許すかぎり訪れる。初来日は1992年だが、2005年の藤原歌劇団『ラ・チェネレントラ』が東京フィルハーモニー交響楽団との幸せな出会いになり、翌06年からほぼ2年ごとに日本でオペラやコンサートを指揮している。東京フィルの定期は2010年3月、2012年6月に続いて今回が3度目。ヴィヴァルディ「四季」とR. シュトラウス、メンデルスゾーン「スコットランド」とロッシーニ&ストラヴィンスキーの組み合わせだから、どの曲が前菜でメインディッシュかは聴く人の好みで分かれよう。
春に25歳のアンドレア・バッティストーニ、秋に85歳のアルベルト・ゼッダと、イタリアの生んだ2人の天才指揮者を招聘する東京フィルの慧眼には頭が下がる。前者をピチピチと泡立つ爽快なスパークリング・ワインとすれば、後者は熟成を重ねて角がとれ、香気と味わいに深みを増した年代物のヴィンテージ・ワインと言えよう。この2人を日本で飲み比べ、いや聴き比べできるのだから、なんとも贅沢な話である。


(プロフィール)
みずたに・あきら/1957年東京生まれ。オペラ研究家。日本ロッシーニ協会会長。フェリス女学院大学オープンカレッジ講師。著書に『プリマ・ドンナの歴史』(全2巻、東京書籍)、『ロッシーニと料理』(透土社)、『消えたオペラ譜』『サリエーリ』『イタリア・オペラ史』(共に音楽之友社)があり、『サリエーリ』で第27回マルコ・ポーロ賞を受賞。

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