ホーム > インフォメーション > [公演レポート] 東京に続きスカラ座で大成功!マエストロ・チョン・ミョンフンの『フィデリオ』

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2018年8月7日(火)


6月19日、ミラノ・スカラ座にて―――

 重い和音が響くと、スカラ座の聴衆は少し戸惑ったように感じられた。『フィデリオ』序曲ではなく『レオノーレ』序曲第3番で始まったからである。だが、筆者はしたり顔であった。すでに東京でマエストロ・チョン・ミョンフンの演奏に接していた聴衆も、同じだったのではないだろうか。5月に東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会でこのベートーヴェン唯一のオペラを取り上げた際、マエストロ・チョンはプログラムに言葉を寄せていた。



チョン・ミョンフン
©ヴィヴァーチェ

 「『フィデリオ』の深遠な音楽の魂はすべて、『レオノーレ』序曲第3番に集約されています。ですから今回は、『フィデリオ』序曲ではなく、その前にベートーヴェンが作曲していた『レオノーレ』序曲の第3番に立ち返ろうと思っています」

 シェイクスピア劇などを多く手がけている演劇畑出身で女流のデボラ・ウォーナーによる演出は、2014年にバレンボイムの指揮でシーズン開幕を飾った舞台の再演だが、その際は『フィデリオ』序曲が演奏された。再演であってもチョン・ミョンフンはあえて、自身の確信を貫いたわけだ。私たちはオペラの殿堂の聴衆に先立ち、マエストロの渾身のメッセージに浴する光栄に預かっていたのである。


 マエストロがこだわる「深遠な音楽の魂」の一端とは、自身の言葉を借りれば「人間としての強いメッセージがそこにあるという意味では、『第九』交響曲にも似ています」ということになる。実際、スカラ座において、序曲で示された敬虔な祈りにも似た心情と崇高な理念は、マエストロ・チョンの強い統率力のもと、オペラの全曲に貫かれていた。


第2幕第6場のフィナーレ
©Brescia / Amisano – Teatro alla Scala

 それは具体的にはテンポのコントラストとして描かれた。地下牢におけるフロレスタンの苦悩をあらわす序曲冒頭のほか、マエストロの言う「第1幕前半の軽い部分」でも、マルツェリーナ、彼女とフィデリオ(レオノーレ)を結びつけたいロッコ、戸惑うレオノーレ、ヤキーノによるカノン形式の四重唱は、極端なまでに緩やかに演奏された。のちの歓喜を浮びあがらせるためであるのは明らかだ。そしてピツァロが登場すると、マエストロの意識は劇的なダイナミズムに向かいはじめ、夫の救出を決意するレオノーレのアリアで、前半のクライマックスを形成するように、オーケストラは高らかな理想を煽るように歌い上げた。

 第2幕も、冒頭の地下牢の場面からゆったりと演奏されたが、ピツァロの前にレオノーレが立ちはだかり、風雲急を告げると、音楽は一気に生命を帯びて夫婦の歓喜の二重唱に入り、終曲は喜びそのものが鮮やかに駆けぬけるようであった。心憎いばかりのコントラストである。



ピツァロを演じるピサローニ
©Brescia / Amisano – Teatro alla Scala

 歌手は東京と重なったのはピツァロのルーカ・ピサローニのみで、スカラ座ではレオノーレをリカルダ・メリベート、フロレスタンをスチュアート・スケルトン、ロッコをシュテファン・メルリンク、マルツェリーナをエヴァ・リーバウが歌った。あえて言えば、特にレオノーレとフロレスタンを歌う歌手は、装飾歌唱にも長けていないとベートーヴェンの意図したようには歌えない。『フィデリオ』が初演された1814年は、ヨーロッパにおいてロッシーニ旋風が巻き起ころうとしていた時期なのだ。





カーテンコールで喝采を受けるチョン・ミョンフン

 また、スカラ座での上演が東京における演奏会形式と大きく異なったのは、東京では多くが省略された台詞が除かれなかったことだ。ベートーヴェンの理想主義に忠実なスカラ座の舞台では、台詞の価値をあらためて確認できたが、演奏会形式であれば東京における選択は、劇的緊張感を維持するためにも正鵠を射ていたといえるだろう。

 総じて東京で歌った歌手陣のほうが、チョン・ミョンフンの意図をよく汲んで検討していたように感じられた。また、東京フィルの演奏は、スカラ座のおける名演に決して引けを取らなかったことも明記しておきたい。ちなみに、カーテンコールで最も拍手を浴びていたのは、マエストロ・チョンであった。

 最近のチョン・ミョンフンは、楽譜の先にある作曲家の「魂」そのものに近づくすべを心得たように思える。抑圧から勝利、そして歓喜への流れは精緻に計算されているが、聴き手は計算のあとを感じる間もなく大いなる「魂」に触れ、心を揺さぶられる。そんなマエストロが指揮する音楽を、東京にいながら聴く機会に恵まれている私たちは、やはり幸せである。




香原斗志(かはら・とし)

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心にクラシック音楽全般について、音楽専門誌や公演プログラム、ライナーノーツなどに原稿を執筆。歌唱の分析と評価に定評がある。著書に『イタリアを旅する会話』(三修社)、共著に『イタリア文化事典』(丸善出版)。毎日新聞のクラシック音楽情報サイト「クラシックナビ」に「イタリア・オペラの楽しみ」を連載中。近著に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)



チョン・ミョンフン指揮 東京フィル定期演奏会

10月4日[木]19:00開演(18:30開場)【完売御礼】
東京オペラシティ コンサートホール
10月5日[金]19:00開演(18:30開場)【完売御礼】
サントリーホール

指揮:チョン・ミョンフン
ヴァイオリン:チョン・キョンファ*


ブラームス/ヴァイオリン協奏曲*
サン=サーンス/交響曲第3番『オルガン付き』




9/29(土)10:00~チケットWEB優先販売開始
2019年2月15日[金]19:00開演(18:30開場)
サントリーホール
2019年2月17日[日]15:00開演(14:30開場)
Bunkamura オーチャードホール
2019年2月20日[水]19:00開演(18:30開場)
東京オペラシティ コンサートホール

指揮:チョン・ミョンフン

マーラー/交響曲第9番

※2月公演には休憩がありません。あらかじめご了承ください。

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