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2017年7月24日(月)

「かぎりなく自由な表現」に近づいたマエストロ・チョン


チョン・ミョンフン指揮 2016年9月定期演奏会
(ベートーヴェン交響曲第6番『田園』他)より ©上野隆文

 どの奏者も熱の入った渾身の演奏を繰り広げているが、各楽器の音が融合し、描写になったときには良い意味で力が抜けている。その表情はきわめて自然で、それゆえに心を打たれる。中庸のテンポで、エッジが立った演奏ではないのに、音色もまた心模様のように移ろい、聴き手は田園の色彩に包まれ、嵐が去って訪れる日常の幸福をそのまま自分の幸福のように受け入れる――。昨年9月の定期演奏会で東京フィルの名誉音楽監督、チョン・ミョンフンが聴かせたベートーヴェンの交響曲第6番『田園』は、なにかを突き抜けた先にしかあらわしえない境地に到達していると感じられた。マエストロは昨年、インタビューで「演奏することで目指すべきなのは、かぎりなく自由な表現」と語っていたが、その言葉の意味を言い尽くしているかのような演奏だった。

 チョン・ミョンフンが東京フィルのスペシャル・アーティスティック・アドバイザーに就任したのは2001年。以来、ベートーヴェンの交響曲には2度のチクルスをふくめて何度か取り組んでいる。交響曲第5番を聴いて音楽家を志したというチョンにとってベートーヴェンは原点だが、以前の演奏はもっと力強く、時にそれが荒っぽさにつながることもあった。昨年の演奏も、各奏者の身をよじるような身振りこそ変わらないが、結果として立ち上る音が、やわらかな祈りに昇華されているかのように感じられたのだ。それはマエストロ・チョン自身の円熟の成果でもあるはずだが、円熟の過程で時間をかけて紡ぎ、深さを増してきた東京フィルとの絆があればこそ、ヒューマニズムという言葉を持ち出したくなるほどの演奏を生んだことは疑いようがない。
 むろん、こうした特徴は交響曲第7番にも、ピアノ協奏曲第5番『皇帝』にも通底していた。


東京フィルとの絆が『英雄』にどんな魂を注ぐか

 それから1年、この9月の定期演奏会でふたたびベートーヴェンを演奏する。ピアノ協奏曲第3番と、交響曲第3番『英雄』である。


ピアニスト:イム・ジュヒ

 昨年の『田園』にくらべると、『英雄』は輪郭がはっきりし、より強い感情が湧き出る交響曲だ。たとえば2002年6月、これを東京フィルと演奏した際は、その熱気がこもった演奏に聴衆は怒濤のような拍手と歓声で応えたが、いまのチョン・ミョンフンはナポレオンに向けて書かれたこの曲をどう演奏するだろう。3拍子の勇壮な第1楽章は、近年のチョンの演奏から湧き上がるヒューマニズムと出会ったとき、どのような表情を見せるのだろうか。第2楽章の、あの濃厚な葬送行進曲からは、どのような祈りの表情が浮き上がるのだろうか。第4楽章はおそらく劇的に聴かせるはずだが、それがいまのチョンと東京フィルだからこそ生みだせる魂を得たとき……。まことに興味が尽きない。

 そして、英雄つながりとでも言うべきか、ベートーヴェンが英雄的な様式を築いた作品でもあるピアノ協奏曲第3番。ソリストは、9歳でゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管と共演したという2000年生まれのイム・ジュヒで、すでにマエストロとはこの曲でも共演している。年々奥行きを増していくマエストロの境地に彼女がなにをもたらすのか、いまから楽しみでならない。




香原斗志(かはら・とし)

イタリア・オペラをはじめとする声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について取材および評論活動をし、音楽専門誌や公演プログラムなどに記事を執筆。声や歌唱表現の評価に定評がある。毎日新聞クラシック・ナビに「イタリア・オペラの楽しみ」を連載中。著書に『イタリアを旅する会話』。


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